raizouのブログ

フレブルとの日常

2月26日

私にとって今日と言う日は忘れられない日。

亡き叔母の誕生日で、叔母は両親つまり私の祖父母の元に帰ってきて、ささやかなお祝いをしていたのだと思う。

祖父は早めに寝てしまい、私は夕食後暫くしてお風呂に入っていた。


突然、叔母の叫び声に近い様な声で、早く風呂から出て~

私の名前を叫びながら、祖母と2人で父ちゃんしっかり…父ちゃん…と…

まだ中学1年生だった私も異様な気配に驚いて、風呂を飛び出した記憶がある。


祖父はトイレに起きて、そのままトイレの入り口で胸を押さえ苦しみながら倒れていた。


救急車を呼んだから迎えに行ってと叔母に言われ、道路まで出ていって救急車を待って、途中で救急車に乗せてもらい家まで誘導した。

私が救急車に初めて乗った日。


昔は今と違い、搬送しながら受け入れ先を救急隊の方は探してくれたのだと思う。

家で私の父を待てと言われ、叔母と祖母が同乗しサイレンを鳴らしながら遠ざかって行く救急車を、半泣き状態で見送り、なかなか来ない父親を家で待って居たと思う。

今も昔もいわきは救急患者の受け入れは悪く、たらい回しと言われる状態だったと…


やっと着いた父親と共に、搬送された病院に向かう途中で、馬鹿な父親はじいちゃん死んだらどうする?と私に聞いた。

そんなわけ無い!と怒った事を覚えている。


やっと着いた小さな病院の処置室のベッドで祖父は既に冷たくなっていた。

じいちゃん起きて…

ねぇ、起きて…

泣きながら声を掛けたけれど、祖父は起きてはくれなかった。

処置室の隅で肩を落とした祖母がとても小さく見えた様な気がした。


祖父は私をとても可愛がってくれた。

座椅子に座り、私を膝に抱き一緒にテレビを見て、のんびりした時間を過ごしていた。


祖父が居なくなっても、その座椅子に私は抱きついて居たような思い出がある。

真っ暗な部屋で灯籠を灯し、仏壇の前で祖父に話しかけたり…

中学1年生で初めて身近な人間の死を受け入れた。


叔母が、厄年で厄払いなどしたから厄が父ちゃんに飛んだんだと泣いていたのを思い出す。


遥か昔の事だけれど、今でも所々鮮明に覚えている大好きだった祖父の最期を看取れなかった悲しい記憶。


子供の私は、まだまだじいちゃんは元気で生きているものだと思っていた。

育てて貰った感謝の言葉を伝えないままお別れをしてしまった。


じいちゃん沢山の愛情をありがとう。

今の私が居るのは育ててくれたじいちゃんとばあちゃん、おばちゃんが居たから。


今も私は元気に生きているよ!

ありがとう…